2017/06/23

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生きること、死ぬこと
昨年乳がんであることを公表し、自らの闘病のようすをブログで記しながら、奇蹟を信じ療養していた小林麻央さんが亡くなった。
午後、夫の市川海老蔵さんが涙ながらに会見を行なった。

34歳、なんという若さだろう。
ご本人はもちろん、残されたお子さんたち、家族のことを思うと本当につらくてならない。
実は私の父親も物心をつく前に母親を病気で亡くし、父と祖母に育てられた。父には母の記憶がほとんどないのだという。

がんの闘病のようすをここまでオープンにし、しかも、若くして亡くなった著名人というと、逸見政孝さんを思い出す。
小林麻央さんよりはだいぶ年上ではあるが、進行の極めてはやい悪性度の高いスキルス性胃がんに冒された中、正々堂々と罹患したことを記者会見で公表し、闘病生活に入ったが、残念ながら亡くなられた。当時、私はこの一連の出来事をインパクトをもって受け止めた。

小林麻央さんのブログは時々のぞいていた。
自分ならこんなに心を強く保てないだろうと思う。
それなのに、ブログをネガティブに受け止める人たちもいた。ラグりんが2chで叩かれたのとは訳が違う。正直、これだけ生命力を振り絞って、おそらく本人は恐怖や不安と闘っているだろうに、それなのに、それをなぜ批判できるのか、私には到底理解できない。
しかし、今日のニュースを見ていて、ある意味安心した。
小林麻央さんがネガティブな輩の何倍、何十倍、何百倍…もの人たちを勇気づけていたという事実を。

私は幼い頃から「死」が怖かった。
「死」を考えると夜も眠れない時もあった。
しかし、ある時、「死」とは「生まれる前に戻ること」と考えるようにしてから多少「死」への恐怖心は薄らいだ。記憶にはないが、自分が通ってきた世界に再び戻るなら、最悪なことじゃない。そう自分に言い聞かせている。

そうは言っても、自分も生きたい、とは思う。

生きているということはどういうことなんだろう。
ただ、息を吸い、食事をし、生命活動をしていることが生きているということなのだろうか。
それは違うような気もする。

小林麻央さんは絶望的な状況にありながら、ブログでは気丈に振る舞い、多くの人たちに勇気を与えた。
一日一日を大切に輝いて生き抜いたと思う。
体が健康でも、正直、生きているのかどうかわからない人もいる。毎日を無駄にしている人もいるだろう。
そう考えると、小林麻央さんは「生きている」と思う。

そして、肉体は亡くなったが、まだまだ「生きている」ような気がする。

自分も一日一日を大切に、自分に与えられた使命をしっかりと見つめて、今日からまた力強く、自分らしく歩んでいきたい。

小林麻央さんのご冥福をお祈りします。


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